2014年2月19日水曜日

小林徳一郎略歴(大野伴睦回想録)


  • 小林徳一郎

島根県邑智郡出身

小学校もろくにでず

13歳で流浪の旅で北九州の炭鉱の田川市で坑夫

20歳で小林組(請負業)で親分
その後浅野セメントの工場建設で500万ほど儲ける

明治28年6月23日
熊本市花園町の本妙時 仁王門 寄進
広島の親分 肥田利助とこの門前で決闘することになった。
熱心な日蓮信者と聞いた小林はドスを懐に境内で待ちうけ名乗りを上げて決闘を迫るが、熱心にお百度を踏み南無妙法蓮華経を深夜に声をはりあげて熱心にお参りする姿をみて感激してやるきがなくなり、人を仲にたて手打ち、このとき日蓮信者になった。

大正のはじめ頃 
島根県の名門、出雲大社、宮司千家氏が破産寸前。
当時の千家は、男爵千家尊福氏。東京府知事、司法大臣まで勤めた。
破産整理をやったのが、原敬内閣の司法大臣を務めた大木遠吉伯。


大野 伴睦 大野伴睦回想録 (1962年)[古書] 弘文堂 (1962) p.195
 出雲出身というだけで、ポンと大金を投げ出したのだ。さすがに豪胆な大木伯も驚き、かつ感激してしまった。「小林君。お志有難う」手をとらんばかりに喜び、その場で大木伯は無名の土建屋と、兄弟分の酒杯をかわしたのだった。

この時の費用20万。大木と人脈ができる。
さらに出雲大社に大鳥居を寄進。

法政大学が中国の漢籍を買うことにしたが15万円が都合できない時。
第三次桂内閣や寺内内閣で司法大臣を務めた松室至がそのときの総長。
松室が事情を小林に語ると15万円を寄付。

歌手の赤坂小梅を売り出す。

稲田神社の社殿献立をする。神話に登場する奇稲田姫(クシナダヒメ)の稲田。

晩年、九州各地に赤字覚悟の干拓事業をひきうけ育英会設置に私財を投じる。

昭和31年1月3日 89歳死去

八幡製鉄をはじめ大半が小林組の手で完成されており九州発展に一役かっている。


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